★双子妊娠・出産★双子妊娠まで 2004年秋、今の旦那さんと私の娘達、そして私の4人での新しい家族としての生活が始まりました でも「四葉のこと」でも書きましたが、娘達の再婚の条件は「ママが赤ちゃんを産むこと」 それ以来、4人で一緒に食事をしていても、出掛けても 娘達の話題はいつも「赤ちゃんは男かな?女かな?」「ママ、いつ来る?」 もう赤ちゃんがうちに来るのが前提の話題ばかり…(^_^; 初めは笑って聞き流していましたが、 娘達がこんなに楽しみにしててくれるなら、もう1人子供が出来てもいいかも… って思うようになってきたんです。 実は私の実家の両親からは再婚の際に、今いる娘達への愛情が薄くなるから 再婚しても赤ちゃんは作らないようにって反対されてたんです でも夫婦でよく話し、「やっぱり赤ちゃんが欲しい!」と決断! じゃあ、もし産まれるなら早いうちがいいね。(旦那の年齢的なことも考えて)ってことになったんです でも、2人妊娠の時同様、排卵しにくい体質の私はなかなか赤ちゃんが授からず数ヶ月が経過… そんな時でした。 職場の先輩PTママから「3人目が出来たの」って告げられたのは 私「おめでとうございます~!」という言葉と同時に 正直、あーもう赤ちゃんはダメかも。って思いました だってPTママが出産するということは必然的に産休・育休を取るということ 産休・育休を取るということは、職場に穴を開けるといこと それでなくてもPTの人員補充もされず、キツキツ状態で日々の仕事をしている私達 1人PT が抜ける事のことの重大さは身に沁みて分かっていました 子供を授かることはとっても喜ばしいことだけど、現場の考えからしたら 今私が妊娠するのは間違っていると感じました。そして3人目は諦めようかと・・・ でも、先輩PTママが育休明けて、職場に帰ってきたとして その時に私がちゃんと妊娠出来る保証はどこにあるんだろう!? たぶん確実なものは何もないと思いました 職場のことももちろん大切だけど、やっぱり自分の人生だから… 夫婦でよく話し合い、不妊治療を続けながら3人目が授かるのを待つことにしました それから数ヶ月 近所の不妊治療で有名な婦人科に週に1回~数回夕方通い 排卵の様子もエコーで診ながら、 「今月は3つ排卵されたよ」と先生から話を聞き、3つ子の可能性もあるよ。なんて冗談を言っていたら 妊娠が確認!!…それも胎嚢が2つ!!「妊娠6週。双子ですね」って あの時は本当にビックリでした 妊 娠 中 職場のPTママさんに遅れること7ヶ月で妊娠。育休期間がかぶってしまうことになりました 双子の心音が確認された日、職場の上司に妊娠の報告をしました 意外にも職場は私の妊娠を喜んでくれました そしてその報告直後からリハ科の上司がPT人員補充のために尽くしてくれたのです 交渉すること数ヶ月、常勤PTの補充までにはいたりませんでしたが 産休・育休代理非常勤PTを雇用してもらえることになりました。本当にありがたかったです! PT協会のHPやハローワークなどに登録し、即戦力になるPTの勤務が決まりました 私の身体はというと、さすがに多胎妊娠はつわり開始も早ければ症状も一番重く、 相変わらず夕方になると絶不調…職場のトイレで吐くこと数回( ̄Д ̄||| やっとの思いで家に帰ると、今度はトイレと布団の往復!! 毎晩、起き上がれないほど辛い毎日でした でも、仕事上では担当患者さんは人数的にセーブしてもらい、 且つ介助量の多そうなケースは避けてもらいました お腹の大きくなり方も5ヶ月を過ぎるとハイスピードに! みるみるケーシーがきつくなり、脇のボタンの位置を広げ、ズボンを履き替え 産休に入るまで白衣が着れるか不安でした なんとかズボンのボタンをはずしたまま仕事をして乗り切りましたが 後で知りました。妊婦用の白衣のズボンがあるってことを/(-_-)\ 多胎妊娠では通常産前7週で産休に入るところを、倍の14週取れるんです でもちょうど産休の入りが年末休み時期とかぶっていたことや、 妊娠する前から決まっていたPT学生のバイザーをしていたため、 学生を無事終了させてから産休に入りたかったということもあり 産前12週で産前休暇に入りました 結局、年明けの産前12週で産休に入りましたが、 驚くべきことにそれまで妊娠中ずっとチャリ通勤してたんです! それも年長の次女を後ろに乗せ保育園まで往復・・・ 今考えると恐ろしいけど、でも、でもそれも考えて考えた末の決断だったんです! 実は家から職場までは徒歩30分、チャリでは10分の場所 妊娠発覚当初は徒歩で通っていたのですが、 歩行の衝撃で逆にお腹が張ってしまうんです。それも早足では余計! そして、朝の20分は貴重です。 長女を小学校へ送り出し、次女を保育園へ連れて行き、出勤・・・ お腹の赤ちゃんの事ももちろん大切でしたが、今いる子供達も大切、今の生活も大切・・・ だから、もし少しでもお腹に異常が現れたら、チャリ通は止める! と自分に言い聞かせ、慎重に慎重に自転車をこいで出勤しましたよ(o^_^)b 産 前 休 暇 実際にお腹に異常が現れたのは、産休に入ってからでした。 産休に入ってすぐの妊婦検診で主治医から 「子宮頸管が短くなっていますね。切迫早産です」と言われました。 産休に入ってから出産の準備やその年の春に卒園する次女の準備など、 これからやりたいことはいっぱい!! 本当は休んでる場合ではなかったのですが「自宅安静」を言い渡されました でも一日家にいると目に付くところがいっぱい! そうそう横にもなっていられず、外出はしないもののモゾモゾと動いていたんですよね・・・ 案の定、その2週後の検診にて「やっぱり安静入院しましょう」と勧められてしまったのです 初め長女・次女の日常生活が不安で、「それは出来ません」と拒み続けたのですが、 その時、主治医に言われたんです 「今いる子供も大切ですが、お腹の子供達の命はお母さんが守るしかないんですよ」って そして色々考えた末、妊娠32週初めから勤務先の産科病棟に入院することとなりました 私は長女の時一度帝王切開をしていて、更に今回の双子妊娠 子宮が耐えられる保証がないと主治医から言われ続けました。 子宮破裂の危険があると! 安静度は基本的にベット上臥床状態。 トイレは歩行可となっているものの、売店へは車椅子介助にて(それも週に2回限定) そして毎朝の内診と消毒、お腹の張りを抑制する薬を飲み続け・・・ 毎食病院食を食べ、患者さんの気持ちも分かりました そして無事5週間が過ぎ、帝王切開の日時も決まり一時外泊が許されました。 私が入院している間、娘達は・・・元気に過ごしていました 小3の長女はまだ明るいうちに学童保育から1人で帰るようにし、 次女は延長保育で夜の7時まで保育園でパパのお迎えを待ち その間長女は1人自宅で宿題をやり、お留守番。 初め1週間こそ「寂しいよ~」なんて言っていた娘達でしたが、ママのいない生活にもすっかり慣れ 面会に来ても、帰り際にも「バイバーイ♪」なんて笑顔で別れたりして、私のほうが寂しかったくらいです 子供ってママがいなければいないで、 それなりに自覚して自分で動けるものだと感心したものです 出 産 帝王切開は3月7日、朝一番9時のオペに決まりました。 前日に予定帝王切開の妊婦さんが入る大部屋に移動し、準備 その日は翌日オペの妊婦はおらず、たまたま4人部屋に私一人・・・ 看護師さんがラジカセを持ってきてくれて 「手術前で緊張するだろうから好きな曲でも聴いてリラックスしてね」って その心遣いがとっても嬉しかったなぁ 手術室でも自分の好きな曲を流して良いとのことだったので、CDを用意してて それを聴きました。「エンヤ」のベストです♪ 予想通り、前の晩は興奮状態で熟睡は出来ず、 お腹の赤ちゃん達ともうすぐ会える!と思うとドキドキしっぱなしでした 手術は予定通り進行し、開始から25分長男誕生!遅れること1分次男誕生! 2人とも双子にしては大きく、2870g&2794gの男の子でした 今回多胎妊娠を経験し、改めて母しかお腹の子供を守ることが出来ないことを知り 切迫流産や切迫早産、頸管無力症、重複疾患妊娠の方たちと同室となり、 これまでの妊娠で何事もなく妊娠生活を送れてきたことのありがたさを知りました! 2006年3月長男&次男の双子出産 これまで、緊急帝王切開・自然分娩(吸引分娩)・予定帝王切開と3回の出産、 単胎・多胎出産と一通りの出産を経験し 今回の入院中に一人目から出産を看ていてくれたベテラン助産師さんに言われました 「四葉さんは、いつもドラマティックな出産ですね!」って こんな経験を生かして これからもPTとして、母として、私も強く生きていきたいと思っていますp(^-^)q 私の経験がこれからPTママになる方の少しでも参考になれたら嬉しいです… PTママを応援しています!!一緒に頑張りましょうね!! |